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伊藤博文内閣(いとうひろぶみないかく)

明治期の伊藤博文を首班とする内閣。�@第1次(1885.12.22~88.4.30)。太政官制に代わる内閣制度の樹立とともに,伊藤が初代の内閣総理大臣に任命され,薩長出身者中心の藩閥内閣を組織。立憲的諸制度の制定と条約改正を課題とした。井上馨(かおる)外相による条約改正交渉の失敗や欧化政策が反政府勢力の非難にあい,民権派の三大事件建白運動に直面して保安条例で対処した。憲法草案完成を機に伊藤が枢密院議長に転じ,黒田内閣に代わった。�A第2次(1892.8.8~96.9.18)。第1次松方内閣の後をうけて成立。大物政治家を集め元勲内閣と称された。衆議院第1党の自由党と接近,「和衷協同の詔書」により海軍軍拡に成功。対外硬派の反政府攻勢に衆議院解散で対処し,陸奥宗光外相を中心に条約改正を実現した。日清戦争を遂行し,日清講和条約を締結。1895年(明治28)戦後経営をめぐって自由党と提携,翌年4月,板垣退助を内相に迎えて自由党との連立内閣となった。松方正義・大隈重信の入閣工作に失敗し,第2次松方内閣に代わった。�B第3次(1898.1.12~6.30)。第2次松方内閣の後をうけて成立。自由党との連立工作に失敗。衆議院で地租増徴案を否決され,衆議院解散で応じたが,自由党・進歩党が合同して憲政党を結成したため半年足らずで退陣し,伊藤の強い推薦で大隈内閣に代わった。�C第4次(1900.10.19~01.6.2)。第2次山県内閣の後をうけて成立。伊藤が衆議院第1党の立憲政友会総裁として組閣した,閣僚の大半も同党員からなる政党内閣。山県系官僚派と対立し,増税案が貴族院の反対で難航。渡辺国武蔵相の公債による事業の繰延べ案も与党の反対にあい閣内不統一で退陣し,桂内閣に代わった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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