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伊藤博文(いとうひろぶみ)

生没 1841.9.2~1909.10.26 明治期の政治家。公爵。幼名は利助・俊輔,号は春畝(しゅんぽ)。周防国の農家に生まれるが,父が萩藩の中間(ちゅうげん)の養子となり,下級武士の身分を得た。吉田松陰に学んで尊王攘夷運動に身を投じたが,イギリスに留学して開国論に転じる。明治維新後,大蔵少輔・租税頭・工部大輔などを歴任。1871~73年(明治4~6)岩倉遣外使節団の副使として欧米を視察。帰国後参議兼工部卿となり,大久保利通(としみち)の片腕として殖産興業政策の推進に尽力。大久保の死後,内務卿。明治14年の政変ののち,ヨーロッパで憲法調査に従事し,帰国後,宮中改革・近代的内閣制度樹立を進め,85年初代の内閣総理大臣に就任。ドイツ風の憲法を起草し,枢密院議長に転じて草案審議にあたり,89年2月大日本帝国憲法の発布に貢献した。四たび首相を務める。日清戦争では全権として講和条約に調印。日清戦争後,衆議院の多数党の自由党と提携,1900年にはみずから立憲政友会総裁となって政党内閣を組織し,明治立憲制のもとで政党政治への道を開いた。晩年は元老として勢力を保持し,日露戦争後,韓国統監を務めたが,韓国の民族運動家安重根(あんじゅうこん)によりハルビン駅頭で暗殺された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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