一遍(いっぺん)
生没 1239.2.15~89.8.23 鎌倉中期の僧。時宗の開祖。諡号(しごう)は証誠(しょうじょう)大師。伊予国の豪族河野氏の出身。1248年(宝治2)出家して随縁と号し,51年(建長3)浄土宗西山義の聖達(しょうたつ)・華台に師事し智真(ちしん)と改名。その後一度還俗し,67年(文永4)再出家ののち,信濃善光寺への参詣,伊予窪寺での別行をへて,己心領解(こしんりょうげ)の法門である「十一不二頌(ふにのじゅ)」を感得して一遍と改める。74年紀伊国熊野本宮証誠殿(しょうじょうでん)に参籠し同権現の神託をうけ,よりいっそう他力念仏の深奥を理解する。日本全土を廻国巡礼(遊行(ゆぎょう))し,「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と刷られた算(ふだ)をくばり(賦算(ふさん)),踊念仏を修して人々に念仏を勧めた。その数は250万人に及んだという。兵庫和田岬(神戸市)の観音堂(現,真光寺)で死去。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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