1面の蓮弁型の大光背を背後に負うかたちで中尊および両脇侍の三尊を表す形式。火焔光背の発達にともない5~6世紀の中国で確立。日本には朝鮮半島を経由して飛鳥時代に伝えられ,623年(推古31)の法隆寺金堂釈迦三尊像などの作例をうんだ。鎌倉時代に至り善光寺式阿弥陀三尊の光背形式として復古的に再生した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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