一里塚(いちりづか)
道の両脇に1里ごとに塚を築き木を植えた。起源には諸説あり,日本では高野山の町石や藤原清衡(きよひら)のたてた笠卒塔婆(かさそとば)をはじめ,織田信長や豊臣秀吉の設置した塚がある。制度として確立したのは近世で,1604年(慶長9)徳川家康は秀忠に江戸日本橋を起点に造築させた。東海道・東山道は永井白元・本多光重が,北陸道は山本重蔵・米田正勝が奉行となり,江戸町年寄樽屋藤左衛門・奈良屋市右衛門らがこれに属し,大久保長安が統轄した。一里塚は旅の目安ともなったが,度量衡統一の目的もあったと考えられる。塚上には多く榎が植えられたが,松や杉もあった。明治以後里程標の設置,交通機関の発達により失われていった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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