一条家(いちじょうけ)
藤原氏北家嫡流の九条家支流。五摂家の一つ。鎌倉中期の九条道家の四男実経に始まる。家名は,実経が父からその邸宅一条室町殿を譲られたことにちなむ。一条の坊名にちなんで桃華(とうか)ともいう。次兄良実が父と不和であったのに対し,実経は父に愛され,多くの所領を譲与された。「尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)」には九条・二条・一条のうち「一条殿の流れをもって嫡家となす」とみえる。代々摂政・関白となったが,室町時代に兼良・冬良のような学者もでた。兼良の長子教房は土佐国に下着。江戸初期,後陽成天皇の皇子昭良が養子として入り家を継いだ。江戸時代の家禄ははじめ1019石余,のち2度の加増で2044石余。維新後,実輝のとき公爵。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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