板付遺跡(いたつけいせき)
福岡市博多区板付にある水稲農耕集落跡。福岡平野の東部を北流する御笠川左岸の低平な台地の中央部に環濠集落と墓地が形成され,周辺の沖積地に水田が造られた。集落は縄文晩期末に始まり,台地中央西側縁辺を掘削した灌漑・排水用の水路や水口をそなえた最古の水田遺構も確認された。弥生前期初頭には台地の中央部に110m×82mの卵形の環濠(内濠)が形成され,台地の東西縁辺と台地の南部をめぐる水路が掘られた。水路は外濠の機能も兼ね,南北約370m,東西約170mほどの規模で,板付集落は内外二重の環濠をそなえた中核的な農耕集落となった。しかし環濠の埋没が進み,中期には集落は台地全体に広がった。内濠の東南方にあった板付田端遺跡は墳丘墓の可能性が強く,前期末~中期中頃の甕棺(かめかん)6基と,細形銅剣・銅矛7本が出土。これらは地域を統合していく中核的集落の指導者たちの成長を示す。国史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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