伊勢神宮(いせじんぐう)
三重県伊勢市に鎮座。皇大神宮(内宮(ないくう))と豊受(とようけ)大神宮(外宮(げくう)),および両社に所属する宮社の総称。古来,伊勢大神宮・二所大神宮などとよばれたが,現在は神宮を正式名称とする。内宮を伊須受(いすず)宮・天照皇大神宮とも,外宮を豊受宮・止由気(とゆけ)宮・度会(わたらい)宮とも称した。祭神は内宮が天照(あまてらす)大神,相殿に天手力男(たぢからお)神・万幡豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ)命。外宮が豊受大神,相殿に3座(神名不明)。垂仁25年,諸国巡幸ののち当地に鎮座したのが内宮の始まりと伝えるが,元来この地には地方神が祭られており,5世紀末~6世紀頃に天照大神が畿内から移されたとする説もある。一方外宮は,雄略22年,天照大神の神慮により御饌都(みけつ)神として止由気神が丹波国比治の真奈井原から山田原に遷座されたと伝える。もとは伊勢の地方神であったとする説もある。中央氏族の大中臣(おおなかとみ)氏が祭主・宮司を勤め,内宮は荒木田氏,外宮は度会氏が禰宜(ねぎ)として奉仕した。7世紀末に式年遷宮が開始され,律令制下では最高の国家祭祀の対象として斎宮(いつきのみや)がおかれた。また天皇以外の私的奉幣が禁じられた。平安末期以後,神領・神宝寄進が盛んに行われるようになって,御師(おんし)の制が発展し,近世には各地に伊勢講が結成されて庶民の参詣で賑わった。明治期に神宮制度の大改革がなされ,国家神道の中心となった。第2次大戦後宗教法人となる。社殿の建築様式は神明造とよばれる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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