自民党の石橋湛山を首班とする内閣(1956.12.23~57.2.25)。保守合同後,日も浅く激しい派閥抗争の最中にある自民党の党内事情を背景に,総裁選で勝った石橋が組閣。積極財政予算をくみ,外交面では国連加盟の実現をうけてアジア・アフリカとの提携,日中国交回復を志向するなど意欲的な姿勢を示し,新鮮味を感じさせたが,首相急病のため,政策の具体化をみないまま63日間の短命内閣に終わった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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