1274年(文永11)の元軍襲来(文永の役)ののち,再来襲にそなえて鎌倉幕府が博多湾沿岸に築いた防塁。築造は九州の各国ごとに分担され,守護が管国御家人を指揮して,76年(建治2)頃から開始された。のちの修理も各国の分担制とされ,鎌倉幕府滅亡後も続けられて室町初期に及んだが,14世紀中葉以降は放棄され埋没。1913年(大正2)から発掘・整備が進められ,現在は国史跡として残る。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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