伊沢修二(いさわしゅうじ)
生没 1851.6.29~1917.5.3 明治・大正期の教育行政官。信濃国生れ。高遠藩藩校進徳館に学び,1870年(明治3)大学南校貢進生に抜擢される。74年愛知師範学校校長となり,75~78年に師範学科取調べのためアメリカに派遣され,メーソンに西洋音楽,ベルに聾唖教育法を学ぶ。帰国後,東京師範学校校長を務め,体操伝習所,音楽取調掛(のち東京音楽学校)などの創立にたずさわる。95年に台湾に渡り民政局学務部長となる。国家教育社や吃音矯正教育の楽石社を設立した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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