池田光政(いけだみつまさ)
生没 1609.4.4~82.5.22 江戸前期の大名。備前国岡山藩主。父は播磨国姫路藩主池田利隆。はじめ幸隆。通称は新太郎。1616年(元和2)父が没し,翌年因幡国鳥取32万石に転封。32年(寛永9)備前国岡山31万石余に移り,以後50年にわたり岡山藩政の確立に尽くした。熊沢蕃山(ばんざん)・市浦毅斎(きさい)などに師事して儒学をきわめ,仁政理念を藩政の基本とする。農政では農民の育成に努めながら年貢増徴・小農民自立を促進。教育にも熱心で,熊沢蕃山を招ねいて重く用い,蕃山は花畠教場の中心となる。68年(寛文8)には庶民子弟のための手習所を各地に設置した(のち閑谷(しずたに)学校に統合)。自筆の「池田光政日記」が残る。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう