伊賀国(いがのくに)
東海道の国。現在の三重県北西部。「延喜式」の等級は下国。「和名抄」では阿拝(あべ)・山田・伊賀・名張(なばり)の4郡からなる。「扶桑略記」によれば680年(天武9)の成立という。国府・国分寺・国分尼寺は阿拝郡(現,伊賀市)におかれた。一宮は敢国(あえくに)神社(現,伊賀市)。「和名抄」所載田数は4051(異本では4055)町余。「延喜式」では調として綾・絹・糸,庸として白木韓櫃(からびつ),中男作物として紅花・紙・茜(あかね)などの貢進を規定。杣山を領する東大寺などにより大土地所有が進み,平安時代には多くの荘園が形成された。在地領主の藤原実遠(さねとお)は著名。中世には大内・千葉・仁木氏らが守護を勤めたが,一方で悪党が勢力をもち,戦国期以降には伊賀者も活躍。豊臣政権では筒井氏,江戸時代には藤堂氏が大名として支配した。1871年(明治4)廃藩置県により津県となり,安濃津県をへて,72年三重県に属した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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