神田上水(かんだじょうすい)
近世初期に開削された江戸の上水道。井之頭(いのかしら)池を水源に,善福寺川・妙正寺川などをあわせて東流し,駿河台・小川町一帯に開渠(かいきょ)で給水,さらに神田川を万年樋で渡し,暗渠(あんきょ)で郭内や江戸城東部に給水した。1590年(天正18)大久保藤五郎忠行が徳川家康の関東入国に先立ち開いたとされるが,慶長年間説,寛永年間説,1653年(承応2)説などもあり確定していない。開削した人物も大久保以外に,武蔵国の百姓内田六次郎があげられている。内田家は代々水元役として神田上水の経営にあたり,1732年(享保17)から同家が水銀という水道料を徴収したが,70年(明和7)退役,神田上水は幕府の直轄となった。1900年(明治33)水道敷設とともに廃止。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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