鑑真(がんじん)
生没 688?~763.5.6 中国唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州江陽県の出身。俗姓淳于(じゅんう)。701年出家し,705年菩薩戒を,708年長安にて具足戒をうける。淮南で戒律教授を重ね江淮(こうわい)の化主と仰がれた。742年日本の留学僧栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)の伝戒師招請の懇願を受諾したが,5度も渡航に失敗し,苦難のなかで失明。753年帰国の遣唐使船に乗り,6度目にようやく志をはたした。来日後は授戒伝律のことを一任され,東大寺戒壇院・唐招提(とうしょうだい)寺を創建した。この間僧綱(そうごう)に任じられ,辞任後は大和上(だいわじょう)の尊号を授けられた。唐招提寺で入滅。伝に淡海三船(おうみのみふね)撰「唐大和上東征伝」がある。入滅直前に作られた唐招提寺の鑑真和上像は,現存する日本最古の肖像彫刻(国宝)。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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