韓国併合(かんこくへいごう)
1910年(明治43)8月22日調印の「日韓併合ニ関スル条約」で韓国を日本の植民地としたこと。韓国(大韓帝国)という国号は廃され朝鮮となった。1905年の第2次日韓協約で韓国を保護国とした日本は,韓国の外交権を掌握し内政に強く干渉した。しかし義兵運動など韓国内の抵抗はやむことなく,欧米列国の干渉のおそれも減らず,初代統監伊藤博文の推進した保護政治も実効をみなかった。07年ハーグ密使事件がおこると,日本は皇帝高宗を退位させ,第3次日韓協約を結んで内政を完全に掌握したが,日本国内での派閥対立も激しく伊藤は統監を辞任。折から日清間の懸案であった間島(かんとう)問題交渉が行き詰まり,アメリカの満州鉄道中立化案のように欧米列国の満州・韓国への干渉の危険が具体化した。09年伊藤が暗殺されると,日本は韓国を植民地とすることを決め,第3代統監寺内正毅(まさたけ)は義兵運動を弾圧しつつ併合を断行した。以後第2次大戦終了の45年(昭和20)まで朝鮮総督府による植民地支配を続けた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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