観阿弥(かんあみ)
生没 1333~84.5.19 南北朝期の能役者・能作者。初代観世大夫でシテ方観世流の祖。実名清次(きよつぐ)。芸名観世,のちにこれが座名となる。観阿弥は擬法名観阿弥陀仏の略称。世阿弥の父。大和国の山田猿楽,美濃大夫の養子の三男で,通称三郎。大和猿楽四座の結崎(ゆうざき)座に属し,能役者の棟梁として大和国以外でも活動し,1375年(永和元・天授元)頃に京都今熊野(いまくまの)の能で将軍足利義満(よしみつ)に認められ,天下に名声を博した。この催しで,猿楽座本来の座衆である翁(おきな)猿楽専門の芸人と能大夫の分離が決定的となり,芸能史上の画期とされる。広い芸域で観客を魅了し,能の音曲に革命をもたらした。能作者としても「自然居士(じねんこじ)」「四位少将(しいのしょうしょう)(通小町(かよいこまち))」などが知られる。84年(至徳元・元中元)駿河国で客死。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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