刈田狼藉(かりたろうぜき)
ある所領を知行する正当な権限をもつと称して,他人の知行している土地の作物を実力で刈りとる行為。これは刈田・刈畠とよばれ,鎌倉前期の裁判では知行の権利を争う所務沙汰訴訟に含め,刈田自体は刑事罰の対象とされなかった。文永~弘安年間から刈田狼藉と称して特別な制裁の対象にされるようになり,1310年(延慶3)以降刑事訴訟である検断沙汰に移管され,侍所・六波羅検断方から諸国守護という系列で処置された。刈田狼藉が発生すると,守護はただちに現場に赴いて抗争を鎮圧するとともに,実情を調査して中央に報告する義務があった。室町幕府も46年(貞和2・正平元)に検断沙汰に含め,使節遵行(じゅんぎょう)とともに大犯三箇条に加えて守護の職務とした。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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