鹿持雅澄(かもちまさずみ)
生没 1791.4.27~1858.8.19 幕末期の国学者。土佐国土佐郡福井村出身で微禄の下級藩士。旧姓は柳村だったが,飛鳥井・鹿持と称した。通称源太,のちに藤太,号は古義軒・橿実(かしのみ)など。高知藩儒中村世潭(せいたん)に学び,国学を教授役宮地仲枝に学んだが,ほとんど独学で万葉研究に従事した。その集大成「万葉集古義」は141冊に及ぶ大著で,言霊(ことだま)の風雅によって万葉を解釈したもの。土佐勤王派として名高い武市瑞山(たけちずいざん)は妻の甥。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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