狩野探幽(かのうたんゆう)
生没 1602.1.14~74.10.7 江戸前期の狩野派の画家。孝信(たかのぶ)の長男。京都生れ。江戸に下り,1617年(元和3)幕府御用絵師として鍛冶橋(かじばし)門外に屋敷を拝領し,鍛冶橋狩野家の祖となった。38年(寛永15)法眼(ほうげん),62年(寛文2)法印叙任。実質的な狩野門の統率者として数々の幕府御用を勤めた。室町水墨画・大和絵など幅広く吸収しつつ,幕藩体制の整備に同調するように,桃山時代の豪壮な大画様式を優美・知的な様式へと一変させた。代表作は,二条城二の丸御殿・名古屋城上洛殿・大徳寺本坊方丈など数多くの障壁画や「探幽縮図」とよばれる古画の模写・写生帳など。探幽の画風は,形式化しつつ江戸狩野様式として江戸時代を通じて継承された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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