加藤高明(かとうたかあき)
生没 1860.1.3~1926.1.28 明治・大正期の外交官・政治家。尾張国生れ。東大卒。1887年(明治20)外務省入省。1900年第4次伊藤内閣,06年第1次西園寺内閣の外相となるが,鉄道国有法に反対し辞任。08年駐英大使となり,11年第3次日英同盟を締結。13年(大正2)第3次桂内閣の外相に就任し,立憲同志会入党,同年桂の死後総裁。14年第2次大隈内閣の外相となり第1次大戦参戦,対華二十一カ条の要求などを断行。16年同志会を中心に憲政会を結成し,24年の総選挙で第1党となり,護憲三派内閣を組織した。治安維持法・普通選挙法などを制定。日ソ基本条約を締結し,ソ連との国交を回復。3派の提携決裂後,新たに憲政会単独内閣を組織したが,議会途中で病死。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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