加助騒動(かすけそうどう)
嘉助騒動とも。信濃国松本藩領で,1686年(貞享3)収納法の変更による藩の年貢増徴政策に反対した一揆。1700人余が松本城下に押し寄せ5カ条の訴状を提出,米屋などを打ちこわした。藩は百姓の要求を受け入れたが,幕府の指示をうけた江戸藩邸からの命令で弾圧を開始,5カ条の受け入れを撤回。頭取の中萱村多田加助ら8人が磔,加助の子2人など20人が獄門となる。1725年(享保10)の藩主水野家改易は加助の祟りと噂され,旗本となった水野家は加助の像をつくり供養を続けたという。百姓一揆の初期義民として佐倉惣五郎などとともに有名。加助屋敷跡に貞享義民社がある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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