嘉吉の土一揆(かきつのつちいっき)
1441年(嘉吉元)土一揆が徳政実施を求めて京都周辺で蜂起し,幕府に迫って徳政令を発令させた事件。近江国で守護六角氏による徳政令が出されたのをきっかけに京都周辺の土民が蜂起,酒屋・土倉を襲撃し,借用証文の破棄,質物の奪取などの私徳政を行った。この年は足利義教(よしのり)が暗殺され,将軍が代替りした年であることを理由に,同じく代替りの年におこった正長の土一揆(1428)を先例にあげて土一揆側はその行動を正当化した。将軍暗殺直後の幕府内の混乱をつく高度に政治的な行動にでた土一揆は,管領細川持之と対立する畠山持国と気脈を通じていたと考えられる。土一揆の勢いにおされた幕府は徳政令を発布,山城国内の徳政を容認した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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