蠣崎氏(かきざきし)
中世,北海道渡島(おしま)半島南端に勢力をもった領主。のちの松前氏。上之国(かみのくに)花沢館主蠣崎季繁(すえしげ)の客将であった武田信広(のぶひろ)が,1457年(長禄元)コシャマインの蜂起を鎮圧し,季繁の家督を相続したことに始まる。信広は若狭国武田氏の出身とされるが,信広の子光広はショヤコウジの蜂起鎮圧を契機に,1514年(永正11)上之国から大館(松前)に根拠地を移し,檜山(ひやま)安藤氏の代官として道南の支配者の地位を確保。光広の孫季広は50年(天文19)ないしは51年,瀬田内のハシタインおよび知内のチコモタインと講和を結び,アイヌ民族との融和を図る。季広の子慶広(よしひろ)の代に豊臣氏・徳川氏に近づいて安藤氏から独立。99年(慶長4)松前氏に改姓。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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