香川景樹(かがわかげき)
生没 1768.4.10~1843.3.27 江戸後期の歌人。鳥取藩士荒井小三次の次男。初名純徳・景徳。通称銀之助・真十郎・式部・長門介。号は桂園・東塢亭(とううてい)・梅月堂・観鶩(かんぼく)亭・臨淵社・万水楼・一月楼。親類の奥村定賢に養育され,京都で梅月堂香川景柄(かげもと)の養子となるが,1804年(文化元)離縁。従五位下肥後守。清水貞固に和歌を学び,上京して徳大寺家に出仕。養父景柄を通じて小沢蘆庵(ろあん)に私淑,のち「しらべの説」を提唱して独自の桂園歌風を創始する。熊谷直好・木下幸文(たかふみ)・菅沼斐雄(あやお)・高橋残夢など門人は非常に多い。法号実参院悟阿在焉居士。家集「桂園一枝」「桂園一枝拾遺」のほか,「新学(にいまなび)異見」「百首異見」「古今和歌集正義」など著作多数。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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