海北友松(かいほうゆうしょう)
生没 1533~1615.6.2 桃山時代の画家。海北派の祖。名は紹益。近江国浅井家家臣海北善右衛門綱親の子。同国坂田郡生れ。幼時から京都東福寺に入り修禅。40歳代で還俗し,海北家再興を志したが,文禄年間頃から画家として活動を始める。狩野派に学ぶ一方で宋元水墨画も体得し,武人的な気迫があふれる独自の画風をうみだす。晩年は宮中の御用も勤め,画家として名声を得た。1599年(慶長4)再建の建仁寺方丈の襖絵「花鳥図」(重文)や,「飲中八仙図屏風」(京都国立博物館蔵,重文)などの水墨画のほか,「花卉(かき)図屏風」(妙心寺蔵,重文)や「浜松図屏風」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)などの金屏風も描いた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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