海部俊樹内閣(かいふとしきないかく)
自民党の海部俊樹を首班とする内閣。1989年(平成元)参議院選挙大敗で退陣した宇野内閣の後に成立。海部は少数派閥の河本派出身だったため,党・政府内での指導力は弱く,また参議院の多数を野党に奪われている状況下での政治運営は困難をきわめた。�@第1次(1989.8.10~90.2.28)。リクルート・スキャンダルの残した政治不信の払拭をねらいとする政治改革を優先課題とし,清新なイメージで内閣支持率を増大させた。�A第2次(1990.2.28~91.11.5)。衆議院選挙での自民党勝利を背景に発足したが,懸案の政治改革法案を成立させることができなかった。国際的には天安門事件以後の対中国政策,ソ連圏崩壊後の旧社会主義国への経済支援,湾岸危機に際しての対イラク制裁など重要問題が続いた。とくに湾岸危機で明確な政策をうちだせず,政府提出の国連協力法案は,大きな論議のなかで廃案となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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