懐徳堂(かいとくどう)
江戸中期,摂津国尼崎町1丁目(現,大阪市中央区)の道明寺屋(どうみょうじや)吉左衛門隠宅に設置された漢学塾。1724年(享保9)同地の町人5人が出資。三宅石庵(せきあん)を学主とし,庶民教育を目的とした。26年に官許の学問所となる。学風は初期は朱子・陸王・古学の折衷。学主は石庵没後,中井甃庵(しゅうあん)・三宅春楼・中井竹山・同履軒(りけん)・同碩果(せきか)・並河寒泉(なみかわかんせん)と継がれ,五井(ごい)蘭州が基礎確立に努め,三輪執斎(しっさい)・伊藤東涯(とうがい)らも来講。受講生には大坂近郷,西国の人々が多かった。1869年(明治2)閉塾。明治末期に西村時彦らによって財団法人懐徳堂記念会が発足し,1916年(大正5)大阪市中央区豊後町に新堂建設。45年(昭和20)空襲で罹災し,49年に蔵書類は大阪大学に寄贈された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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