清原夏野(きよはらのなつの)
生没 782~837.10.7 平安前期の公卿。父は小倉王(舎人(とねり)親王の孫),母は小野綱手の女。子に滝雄・沢雄・秋雄がいる。幼名繁野(しげの)。双岡(ならびがおか)大臣・比(ならび)大臣とも称する。804年(延暦23)清原真人(まひと)を賜り,夏野を名のる。823年(弘仁14)淳和天皇の即位にともない,春宮亮(とうぐうのすけ)から蔵人頭(くろうどのとう)となる。のち右大臣・従二位に昇った。「日本後紀」「令義解」「内裏式」の編纂・撰進に尽力。たびたび同天皇を双岡山荘に迎える。民部卿を勤め,親王任国の設置などを献策した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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