清原家衡(きよはらのいえひら)
生没 ?~1087.11.14 平安後期の武将。武貞の子。母は安倍頼時の女。四郎と称する。清原氏の同族争いに端を発した後三年の役では,当初異父兄の清衡と結び,異母兄の真衡(さねひら)と争った。真衡の病死後は,陸奥守源義家の支援をうけた清衡と戦った。1086年(応徳3)出羽国の沼柵(現,秋田県横手市雄物川町)の戦で勝利を収めた。叔父武衡(たけひら)の援助をえて金沢柵(現,秋田県横手市)に移り抗戦したが,翌年攻略され県次任(あがたつぎとう)に斬殺された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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