中国では,秦・漢代の副丞相である御史府長官の御史大夫と,隋・唐代の官人の非違を正す御史台長官の御史大夫があった。天智朝の御史大夫は前者にならった官であり,弾正尹(いん)の唐名を御史大夫というのは後者にもとづくものである。671年(天智10)太政大臣・左右大臣とともに蘇我果安(はたやす)・巨勢人(こせのひと)・紀大人(きのうし)が御史大夫に任じられており,これが令制の大納言に発展したと考えられる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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