教如(きょうにょ)
生没 1558.9.16~1614.10.5 織豊期~江戸前期の浄土真宗の僧。本願寺12世,東本願寺初世。童名は茶々丸,諱は光寿。父は11世顕如,母は細川晴元の養女如春尼。1580年(天正8)石山合戦の和議がなり,顕如は紀伊国鷺森に,教如も籠城半年で同じく雑賀(さいか)に退いた。91年,顕如は豊臣秀吉から京都堀川七条の地を得て本願寺(西本願寺)を再興。その没後12世をつぐが,93年(文禄2)秀吉の命で弟准如に譲る。1602年(慶長7)徳川家康から京都烏丸六条に寺地を得て東本願寺をおこした。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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