京都所司代(きょうとしょしだい)
織豊政権・江戸幕府の職名。室町幕府の侍所所司代に由来する。織田信長は将軍足利義昭を追放したあと村井貞勝を,また豊臣秀吉は政権が確定すると前田玄以(げんい)を所司代に任じ,京都市政や朝廷・寺社の統制を担当させた。徳川家康もこれにならい,関ケ原の戦後,奥平信昌を任じた。しかし実質的な初代の所司代はつぎの板倉勝重とする説が有力。以後1867年(慶応3)の廃止まで定置された。職掌は,京都市政,朝廷の守護および監察,五畿内・丹波・近江・播磨8カ国の訴訟処理,京都・奈良・伏見奉行の統轄など多岐にわたったが,実務権限はその後徐々に縮小された。幕府職制上,老中につぐ格式をもち,従四位下侍従に叙任された。役高は1万石。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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