行地社(ぎょうちしゃ)
1925年(大正14)2月11日,大川周明が前年に組織した行地会を母体に創立した国家主義団体。「則天行地」より命名。機関誌は「日本」。大川は21年頃から宮城内にあった社会教育研究所(のち大学寮)の講師となり,24年行地会として主宰者となった。牧野伸顕や荒木貞夫以下陸軍の少壮将校も来所。白人からアジアを解放する大アジア主義を基幹とし,反マルクス主義,翻訳的議会政治の打破など国家革新をめざした。その一つの発想形態が3月事件・10月事件となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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