己酉約条(きゆうやくじょう)
慶長条約とも。1609年(慶長14)朝鮮王朝と対馬島主宗氏との間で結ばれた条約。己酉は成立年の干支。15世紀以来の朝鮮・対馬間の諸約条に準拠し,日本から朝鮮へ渡航する使者の資格や船,接待に関して定めたもの。これにより対馬は朝鮮との貿易を再開したが文禄・慶長の役による関係断絶後だけに,従来以上にきびしい制約が設けられ,対馬から朝鮮への島主歳遣船(さいけんせん)は20隻に限定された。その後対馬国府中藩では各種の名目で渡航船の増加を図るが,明治初期,外務省が同藩の外交業務を接収するまでは,効力をもっていた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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