義兵運動(ぎへいうんどう)
日本の侵略に対する朝鮮在野勢力による武装闘争。初期義兵は日清戦争以後の日本の内政干渉を背景とし,直接には1895年(明治28)の閔妃(びんひ)殺害事件や断髪令などを契機としておこった。96年国王高宗(こうそう)がロシア公使館に脱出し,日本勢力が後退したため解散した。後期義兵は日本の韓国保護国化を契機としておこり,1907年に韓国軍の解散によって戦闘力が強化されると,全国に拡大した。初期義兵が儒者中心であるのに対し,後期義兵は軍隊出身者中心であった。日本軍は焦土戦術などで弾圧し,09年には大規模な掃討を行い勢力を衰退させた。義兵はやがて中国東北部に移動してゆく。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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