企画院(きかくいん)
日中戦争下,戦時統制経済の調査立案にあたった総合国策機関。内閣の外局。1937年(昭和12)10月25日,企画院官制により内閣の外局である企画庁と資源局を統合して設置。総裁は親任官で国務大臣が兼ねることもあった。陸軍・革新官僚は総動員政策の統合主体として設置を望んだが,各庁への優越性が否定されるなど事務機関の地位に留まった。しかし国家総動員法の制定,それにもとづく総動員諸計画の調査立案を担当し,戦時国家統制の確立に重要な役割をはたした。革新官僚の拠点であったが,経済新体制問題で財界と対立,41年には企画院事件がおこって和田博雄ら革新官僚が検挙されたため,以後軍部主導となった。43年11月新設の軍需省に吸収された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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