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金剛峰寺(こんごうぶじ)

和歌山県高野町にある高野山真言宗の総本山。816年(弘仁7)空海(くうかい)が嵯峨天皇からこの地を賜って真言の道場を建立。835年(承和2)真言宗年分度者(ねんぶんどしゃ)3人が勅許され,当地で課試得度されることとなり,金剛峰寺は定額寺(じょうがくじ)に列せられた。同年空海はここで死去。のち高野山中心主義により東寺や神護寺との間に確執が生じたが,921年(延喜21)東寺長者の観賢(かんげん)が金剛峰寺座主(ざす)を兼務し,東寺末となった。空海入定(にゅうじょう)信仰の隆盛にともなって高野参詣が貴族の間で流行し,荘園の寄進や納経・納髪が盛んに行われた。たびたび火災にあったが徐々に復興し,1040年(長久元)には明算(みょうさん)が中院を再興した。大伝法(だいでんぽう)院と密厳(みつごん)院を建立した覚鑁(かくばん)は,1134年(長承3)大伝法院・金剛峰寺の座主となり,東寺からの独立をめざしたが,金剛峰寺僧に襲撃され根来(ねごろ)山に移った。中世以降皇族・貴族ばかりでなく武士の信仰も集め,広大な寺領を保有したが,室町後期以降の社会の混乱のなかで荘園を失った。山内では行人(ぎょうにん)(興山寺)と学侶(がくりょ)(青巌寺)の対立がしだいに激化し,江戸時代にまで及んだ。現存の多宝塔・不動堂は鎌倉建築で国宝,また平安時代の国宝「阿弥陀聖衆来迎図(しょうじゅらいごうず)」,同「阿弥陀三尊像」をはじめ多くの寺宝を所蔵する。境内は国史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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