後村上天皇(ごむらかみてんのう)
生没 1328~68.3.11 在位1339.8.15~68.3.11 後醍醐天皇の皇子。名は憲良(のりよし),のち義良(のりよし)。母は新待賢門院廉子(れんし)。1333年(元弘3)北畠親房・顕家父子に奉じられ陸奥国へ下向。34年(建武元)親王宣下。翌35年と37年(建武4・延元2)の2度,足利尊氏追討のため西上。39年(暦応2・延元4)皇太子となり同年践祚(せんそ)。48年(貞和4・正平3)高師直(こうのもろなお)の吉野攻略により賀名生(あのう)に遷幸。51年(観応2・正平6)尊氏の降伏をうけ正平一統を実現するが,翌年足利軍に京都を奪回され再び賀名生へ遷幸。その後河内国金剛寺,同観心寺,摂津国住吉神社と行在所(あんざいしょ)を移し,住吉で没した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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