近衛文麿(このえふみまろ)
生没 1891.10.12~1945.12.16 昭和前期の政治家。東京都出身。公爵近衛篤麿の長男。京大卒。1916年(大正5)から貴族院議員。19年のパリ講和会議に随員として参加。31年(昭和6)貴族院副議長,33年同議長となり,首相候補と目されるようになった。37年(昭和12)6月,第1次近衛内閣を組織。翌月盧溝橋事件が勃発して始まった日中戦争は,和平交渉に失敗して泥沼化した。40年に第2次近衛内閣を組織して新体制運動を展開,「革新」政策を実施した。対外的には日独伊三国同盟を締結して「南進」政策をとった。41年7月,対米調整に反対する松岡洋右外相を放逐するため総辞職し第3次近衛内閣を組閣。しかし南部仏印進駐により日米交渉を破局に陥れ,外交と開戦の二者択一を迫られて10月に総辞職。敗戦後,戦犯指定をうけ,自決。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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