後藤新平(ごとうしんぺい)
生没 1857.6.4~1929.4.13 明治・大正期の政治家。陸奥国胆沢郡生れ。医学を学び愛知県病院長などをへて1883年(明治16)内務省に入り衛生行政に尽力,98年から台湾民政局長(のち長官)として植民地行政に卓越した手腕を発揮した。1906年初代南満州鉄道総裁,08年第2次桂内閣逓信相を務める。16年(大正5)寺内内閣の内相,18年外相に転じてシベリア出兵を推進した。第1次大戦後の欧米を見聞し,社会改革推進の大調査機関設立を提案した。20年東京市長に迎えられ都市計画などにとりくむ一方,23年には極東駐在ソ連代表ヨッフェを日本に招致して会談するなど,日ソ国交調整に尽力した。関東大震災時には内相として東京復興計画立案の中心となり,23年末,第2次山本内閣の総辞職とともに下野し,以後政治の舞台には立たなかった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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