御成敗式目(ごせいばいしきもく)
「貞永式目」「関東御式目」「式目」とも。1232年(貞永元)に制定された鎌倉幕府の基本法典。内容は守護・地頭のこと,所領支配の効力,訴訟手続,犯罪とその処罰,百姓や奴婢の支配など51カ条。現在知られるものは原形ではなく,現在の第35条までを51カ条に配列したものを原形とする説がある。必ずしも体系的・網羅的なものではなく,当初から補充が予定されていた。実際,その後随時立法され,それらは式目追加とよばれた。室町幕府も,式目追加として同じく随時立法している。式目制定の趣旨について,主導者であった執権北条泰時は,裁判の公平を期するため,あらかじめ裁判の基準を御家人たちに周知させる,その基準は武家社会の良識で,律令格式とは異なるところもあるが,律令格式を否定するのではなく,この法を武家社会にのみ適用させる,とのべる。その背景には,承久の乱(1221)以後,全国各地に進出した地頭御家人が,荘園領主など異質の世界の人々との接触で,種々のトラブルにまきこまれるようになったことがある。泰時にとっては,評定衆(1225設置)たちとの評定の場を拠点に動きはじめた執権政治を,より確かなものにする必要もあった。式目は守護を通じて各国内の地頭御家人に伝達され,それを通して広く社会に浸透した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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