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後白河天皇(ごしらかわてんのう)

生没 1127.9.11~92.3.13 在位1155.7.24~58.8.11 鳥羽天皇の第4皇子。名は雅仁(まさひと)。母は藤原公実の女待賢門院璋子(しょうし)。崇徳天皇の同母弟。1155年(久寿2)近衛天皇が死去すると,鳥羽は後白河の長子(二条天皇)を後継者と決め,順序としてまず父の後白河を即位させた。崇徳はこれを不満として保元の乱(1156)がおき,後白河はこれに勝利する。2年後,二条天皇に譲位し,その翌年平治の乱で御所を焼かれている。二条の死後,三男(高倉天皇)を後継者に決め,68年(仁安3)二条の子六条天皇から高倉に譲位させた。この頃から院政の実が備わる。その後,平清盛と対立を深め,鹿ケ谷(ししがたに)の謀議の結果,幽閉・引退させられた。しかし81年(養和元)高倉の死によって院政を再開し,平家都落ちの後,源義仲の襲撃をうけたものの,翌年源頼朝勢力の京都進出後は頼朝との協調を方針とし,義経挙兵事件(1185)の一時的混乱をこえて,朝廷と幕府の共存に道を開いた。信仰に厚く,遊び事を好み,今様(いまよう)を集成して「梁塵(りょうじん)秘抄」を編纂したほか,朝儀の復興にもつとめ,「年中行事絵巻」を作らせた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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