腰越状(こしごえじょう)
1185年(文治元)5月24日,源義経が相模国腰越駅(鎌倉市)から大江広元(ひろもと)に出した書状。「吾妻鏡」に収録。平氏を滅ぼして帰還した義経は,鎌倉の手前腰越駅で足止めされた。この書状は,平治の乱以後の流浪の日々,数々の軍功,大夫尉補任が源家の名誉であることをのべ,兄頼朝の不興が周囲の讒言(ざんげん)による誤解であることを主張。しかし鎌倉入りは許されず,義経は京都に引き返して頼朝追討を決意するにいたる。室町時代には「義経記」に記載され幸若舞の素材となり(「腰越」),義経の悲劇として語られた。江戸時代には,「古状揃」に収録され,読本の教科書として広く読まれた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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