御家人(ごけにん)
�@鎌倉幕府将軍家の家臣の呼称。鎌倉幕府成立にあたって将軍と主従関係を結んだ者を御家人・鎌倉殿御家人・関東御家人などと称した。御家人になるには名簿(みょうぶ)の捧呈および見参(けんざん)の礼が必要だったが,当初からこの儀礼はしばしば省略され,将軍家下文(くだしぶみ)の下付や西国派遣の使者の奉書下付,守護の交名(きょうみょう)注進や大番役勤仕の事実などが,御家人身分認定の根拠とされた。各御家人の所領規模は大小さまざまであるが,幕府との関係では身分的には同格であった。室町幕府は御家人制度を採用しなかったが,一種の身分・家格を示すものとして御家人の称は用いられた。戦国大名のなかには家臣を御家人と称した者もあった。�A江戸時代,将軍の直臣で御目見(おめみえ)以下の者。18世紀初頭で1万7200人余おり,大半は蔵米取(くらまいとり)であった。家格のうえで譜代・二半場(にはんば)・抱席(かかえせき)(抱入)の区分があり,譜代・二半場は無役でも俸禄が支給され,家督が相続できるのに対し,抱席は1代限りであった。家格に応じて役職もきめられた。近世中期以降御家人の窮乏は著しく,その地位が株化して売買される場合もあった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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