昭和前期の政党。1932年(昭和7)12月に結成。総裁は立憲民政党内閣の内相を務めた安達謙蔵。前年末に民政党を脱党した安達派を中心に,清瀬一郎ら革新党などの代議士30余人が参加。党内では統制経済を主張する中野正剛(せいごう)らと民政党復帰を主張する山道襄一派が対立,35年に中野派が脱党し,山道派は民政党に復帰,以後党勢は低落。40年7月新体制運動の過程で解党した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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