虎関師錬(こかんしれん)
生没 1278~1346.7.24 鎌倉後期~南北朝期の臨済宗の僧。諡号は本覚国師。京都生れ。父は藤原左金吾校尉。8歳で臨済宗聖一派東山湛照(とうざんたんしょう)のもとに参禅,東山の没後,規庵祖円・桃渓徳悟らに従い修行。1307年(徳治2)建長寺の一山一寧(いっさんいちねい)を訪ねたのを機に,22年(元亨2)「元亨釈書」を著す。また鎌倉の無為昭元(むいしょうげん)・約翁徳倹(やくおうとっけん)の会下(えげ)に入る一方,仁和寺・醍醐寺で密教を学ぶ。39年(暦応2・延元4)南禅寺の住持となり,41年(暦応4・興国2)東福寺海蔵院に退き,翌年後村上天皇から国師号をえた。菅原在輔から「文選」を,六条有房から「易」を学ぶなど研鑽に努め,該博な知識をえた。「聚分韻略(しゅうぶんいんりゃく)」「済北(さいほく)集」など著作多数。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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