古賀精里(こがせいり)
生没 1750.10.20~1817.5.3 江戸後期の朱子学派の儒者。名は樸(すなお),字は淳風,通称弥助。肥前国佐賀藩士の子。はじめ陽明学を好んだが,京都で西依成斎らに学び,大坂で尾藤二洲(じしゅう)・頼(らい)春水と交わって朱子学に転じた。佐賀に帰国後,藩校弘道館の教授となり,朱子学によって藩学を整備した。1796年(寛政8)幕府儒官に任じられ,寛政の三博士の1人として,異学の禁以後の学政と「孝義録」編纂に努めた。著書「精里文集」「四書集釈」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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