高麗(こうらい)
朝鮮半島の王朝(918~1392)。都は開城。新羅(しらぎ)の末期,地方豪族の王建(おうけん)が建国。新羅を併合後,各地の豪族をしだいに統合し,唐・宋の制度をとりいれて集権的官僚国家の建設をめざした。契丹(きったん)・女真(じょしん)・モンゴルのたび重なる侵入をうけ,これらと宋との間に立って外交関係に苦慮するなかで,1170年武人政権が成立。13世紀後半にはモンゴルの支配下に入った。日本とはおもに私的な通交貿易が行われたが,元のフビライの日本遠征ではその基地となり,軍事・経済上の莫大な負担を負った。14世紀以後,倭寇(わこう)や中国からの紅巾(こうきん)の賊の侵入などで疲弊。中国で明が勢力を伸ばすと,高麗では親明・親元の2派が抗争,そのなかから武人李成桂(りせいけい)が,親明派の新興官僚の協力をうけて即位,李氏朝鮮が成立し高麗は滅亡した。仏教が栄え,青磁・大蔵経が著名。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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