孝明天皇(こうめいてんのう)
生没 1831.6.14~66.12.25 在位1846.2.13~66.12.25 仁孝天皇の第4皇子。名は統仁(おさひと)。母は正親町実光の女新待賢門院雅子(なおこ)。1835年(天保6)儲君に定まり親王宣下,40年立太子,46年(弘化3)父の死去により践祚。63年(文久3)将軍徳川家茂(いえもち)らを従え賀茂社・石清水八幡宮に行幸し,攘夷断行を祈念したが,尊攘激派を好まず,公武合体政策を支持した。66年(慶応2)痘瘡で死去。公武合体を旨とした政治姿勢は倒幕勢力の障害とも評された。歌集「此花詠集」,伝記「孝明天皇紀」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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